最新の記事
●新刊のご案内
『平和を考えよう(全2巻)』小学校高学年~中学生向けの本です。詳しくは > こちら おすすめ記事 ●電気柵が守る村にて ●人は自然に託して物語を紡ぐ ●飯舘村から思いをつなぐ ●春よ、春よ ●落ち葉も輸入?! - セシウム汚染腐葉土のニュースに思うこと ●ペシャワール会・伊藤和也さんの死に思う おすすめシリーズ ●[里山暮らし]与那国馬タックとの日々 ●[里山暮らし]炭窯&奥谷津棚田—長老たちとの日々 ●[スピリチュアル?]ぐだぐだ考えてみた ●[ブラジルHIV+アクティビスト]アラウージョ全国講演旅行2011報告記 ●[ブラジル・リオ&サンパウロ]ファベーラ(スラム)をへめぐる ●[アマゾンと先住民]カヤポ族 呪術師長老ラオーニ、日本を行く2007 ●[アマゾンと先住民]ベロモンチ水力発電所建設問題 別館 ●日本の文化・旅をブラジルへ発信するポルトガル語サイト Curtindo o Japão ●関連記事 コンタクト --> こちらから 以前の記事
カテゴリ
野良しごと/山しごと 手しごと 書くしごと 里山と棚田と馬と 自然・いきもの・風景 鴨川・田舎暮らし 農・食・環境 養蜂・ハチミツ よの中・ひとの中 旅の空 ブラジル ファベーラ(ファヴェーラ) アマゾン/先住民 つれづれ ヘジの野辺だより ■百一姓の農産品■ [ プロフィール] [ このBLOGの使い方] タグ
生き物(164)
植物(159) 田んぼ(156) 畑(146) 馬と暮らす・働く・遊ぶ(68) アマゾン/先住民族(48) 田舎暮らし(43) 料理(42) ブラジル(42) アラウージョ(40) ヒミツの山(36) NGO(35) 旅(34) ファベーラ(33) 鴨川(32) HIV/AIDS(29) 農/食(29) メディア(28) ベロ・モンチ水力発電所(26) 炭窯長老(21) 検索
最新のトラックバック
その他のジャンル
|
記憶に留めるために。
3月11日午後3時。まるで船に揺られているかのような大きなゆっくりとした横揺れが始まって、いつまで続くのかわからないほど長い時間が過ぎたような気がした。揺れ始めてじきに電気が止まり、ネットも電話も携帯電話も不通になった。押し入れから引っぱり出して来たラジオでは状況がよくわからないまま、その夜は、ロウソクの灯りを囲んでひとつの門出を祝ったのだった。有志の仲間たちで取り組んでいたとあるプロジェクトから、翌朝、岩手へ研修生として旅立つはずだった若者の門出を。 翌朝、電気が戻って来て、点けたテレビの画面に言葉を失った。 田んぼに行けば、きっと誰かに会えるに違いないと考えた。 釜沼北奥谷津棚田では炭窯の長老たちが畦切りとロータリーがけに勤しんでいた。 「おったまげたなぁー」「てゃぁへんなこったなぁー」 ひとしきり言葉を交わしたあと、それぞれの仕事へ戻って行った。 ここに、きのうと変わらぬ今日がある。 それがなによりも心強く思えるのだった。 復田開墾中の棚田の崩れた畦を数日前に直し始めたところだった。高い畦の土手に、箕の手(水の出口)が崩れて直径1メートル、深さ2メートルもの大きな洞ができていた。今年の田植えに間に合わせなければ。毎日、田畑に出ることを自分たちに課した。 耕さなくては。耕さなくては。 何度も胸の内に繰り返した。 やりきれない思いでパソコンを閉じて、家の裏山の三宝荒神様に向かう山道を登った。 荒唐無稽なデマや、根拠も定かではない、もしくは根拠などない、疑心暗鬼と恐怖を煽るだけの"情報"とやら。子どもに白砂糖食べさせるな味噌食べさせろ放射能に効くぞ。逃げて、沖縄へ、いや日本はもうダメ、南半球へ! 善意に満ちた脅迫のことばたち。仮定の上に仮定を重ねて勝手な解釈で組み立てた"最悪の最終シナリオ"。依拠する論の真否の検証すらないものが、さらに論の部分をすっぽり抜け落として破滅の最終シーンだけを一人歩きさせていく。もしも現実が少しでもシナリオに近づけば「ほら言ったとおり」、もし外れれば「よかったね」、どのみち言の責任を問われるようなものではない。そのそれは、いったい"分析"なのか"予言"なのか? そうやって移住者なかまのコミュニティに、たくさんのメールが飛び交っていた。放射線が怖いと家に閉じこもっている人もいると伝え聞いた。誰も知らないうちにどこかへいなくなった、あそこも、あの家も、あの人は飼っていた生き物を置いたまま。そんな噂が耳にいくつも入って来た。どこか遠くへ行った人たちから、スピリチュアルもどきの高揚した薄っぺらい祈りのメッセージが次々と送りつけられて来た。いったいこれは何なのだ。被災地からこんなに遠く離れた鴨川で、私たちは何をしている。 〜ノブキの雌花(3月17日) ここは原発から250キロ以上も離れた地。山道に積もった枯れ葉を踏みしめながら、それなのに、「この地の空気を吸う」ことすら恐怖となってしまい得る心理の動きに慄然とした。 その心配の中にはもしかすると、する必要のない心配も含まれているかもしれない。する必要のない心配にとらわれることほど辛いことはない。みながみな、遠くへ脱出できるはずがない、脱出したいと願うわけでもない。とどまることを選んだ人が、ほんとうは心配などする必要もない理由によって、もしもこの先、心配し続けたり悔やんだりするようなことがあったとしたら....。気が気ではなくなった。MLに飛び交うメールは、交流を通してこちらのコミュニティと縁ができたという福島県の農家の人も読んでいるはずだった。原発から40キロの小さな村の人。 そうではなく、不安に揺れる人にとって役に立つ言葉を届けたいと思った。いま現時点でわかっている事実やデータを淡々と科学的に伝える情報源と、そのデータをどう読み取ればいいかを示す情報源と、そして、ほっとできる、前向きになれるエピソードと...。恐怖を煽る言葉たちへの反論でも批判でもない「対抗しない対抗言論」を、と。 恐怖は簡単に偏見や差別の動機へと変わり得る。かつて犯した被爆者差別と同じあやまちを繰り返してはならない。そのためにも、そして自分自身のためにも、正しい知識と冷静な判断が必要なんだ。そしてなによりも、社会全体が暗い悲観主義に陥ってはおしまいだ。具体的で前向きな将来へのビジョンのないところでは、人間も社会も様々な意味での酷い悪循環にはまり込んでしまう。いったんそうなればそこから抜け出るのはとても難しい。ブラジルのファベーラ(=スラム)に長年関わって来て、それが身にしみてよくわかる。 けれど恐怖は理屈ではない。そのことも知っている。 日本のいちばん端まで文字通り逃げたひとりが電話の向こうで、鴨川に来訪されるかもしれない避難者が放射能を持ち込むことへの怖れを口にしたという。恐怖でパニックに陥った人に、正しい知識を持て、差別はよくない、という正論など、なんの意味もなさないのだ。そう肌で感じて怖ろしくなった。それは私には、放射能よりも怖ろしい。 とても優しいお顔をしていた(3月17日) 19日、地震から1週間が過ぎた週末に、みなが集う場を開いてくれた人たちがいた。「まだこんなに人が残ってたの...」。安堵の声がどこからともなく聞こえてきた。小さな子どもたちが外を駆け回る風景が、とてもいとおしいものに見えた。ネットにあふれる情報に、みなとまどっているようすだった。怖くて怖くてたまらない、と、声をふるわせる人がいた。不安に震える人を現実に目のあたりにして、怒りがこみ上げてきた。何に、誰に対する怒りなのか....よくわからない。やりきれない。 よかれと流す情報を、いったいどんな人が、どんな物理的・心理的状況の中で受け取って、それをどんなふうに解釈するのか、そんなこと、わかりようもない。情報を発することの責任の重さに身が震える思いがした。 安心できることがいちばん大事なのだから、いったん西に離れるのもいいと思うよ。不安に震える人にそう言うと、ほっとした顔をした。離れることを後ろめたく思ってほしくない。そんな必要はない。そう思うのは切ない。黙っていなくなるのはもっと切ない。 それぞれに閉じこもっていた世界から外に出て、こうして顔を合わせれば、世界は違う景色を見せ始める。大地は日に日に緑を濃くし、春よ来いと待ち遠しくしている間に春はいつの間にかそこにいて、前へ前へと駆け足で過ぎて行く。「何かを為さなくては」。そうして皆が為し始めた。中心になって動いている人たちの熱意とリーダーシップに頭の下がる思いがする。 小さな祠がいくつも並んでいた(3月17日) 野辺に立つ仏像ひとつ、祠ひとつに、よりよい明日を信じて黙々と大地を耕して来た人の祈りがこめられている。縁あってここに住み着いて、多くの大切な仲間、耕す土地にも出会った。ずっとずっと昔からこの地に根を張って生きてきた先人たちが為して残した歴史の上に、いま、私は立っている。何枚ものプレートに乗っかったこのちっぽけな日本という島々の上で、大地に、海に向き合って、泣いたり笑ったりして生きて来た無数の人たちがいる。 私もそうだ。この小さな場所で、ここで自分は根を下ろしたんだ。はからずもこの未曾有のできごとを前にして、それを確信した。たとえなにが起ころうとも、今日も世界は美しい。 お山のてっぺんにどっかり根を張る大木を仰ぎ見た。 人間なんてちっぽけなもの。そう思えば勇気が湧いて来る。 耕そう。耕さなくては。 写真撮影:さとみ ○関連記事:春よ、春よ ―2
by hyakuishou
| 2011-04-02 12:00
| よの中・ひとの中
|
ファン申請 |
||