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左前方はボタフォゴ・ビーチ (写真:ヘジナウド岡田) リオデジャネイロは美しい町。白い砂浜の連なりにふちどられた大地には、丸く緑に覆われた岩山が、ぽこりぽこりと立ち並んで。 初めてこの地に到達したヨーロッパ人たちは、船上から見た風景に息を呑み、言葉をなくしたに違いない。 彼らがここにやってきたのは、1月の日。深く切れ込んだグアナバラ湾の奥へと、それを大河と思い込みながら船を進ませていった。 やがて町ができ、町は「1月(janeiro)の河(rio)」と名付けられ・・・。そしてジルベルト・ジルが唄うように、リオはいまも、いつまでも continua lindo、 美しくあり続けるのだろう。 (“Aquele Abraço” Gilberto Gil) あのひとつひとつの灯りの下に、ひとつひとつの人生があるのだな、と、しみじみと胸の中が暖かく切なくなる。ファベーラ「パヴォン・パヴォンジーニョ」 岩山の斜面がびっしりとファベーラに覆われるリオデジャネイロ。 この町ではファベーラのことを「morro モッホ(小山、丘)」とも呼ぶ。映画の主人公、アンデルソン・サーが暮らすヴィガリオ・ジェラウのような平地にできたファベーラでも、このように呼ばれる場合がある。 リオの地図(>>Google MAP)を見ていただくとわかるように、あちこちに本当にたくさんのファベーラがある。 この「モッホ」に対して、ファベーラ以外の場所を指す言葉が「asfalto アスファルト」。 ファベーラの中に入れば、たとえ地面が舗装されていてもセメント敷きで、たしかにアスファルトは、モッホの外の世界を象徴するものなのかもしれない。 アスファルト側の人びとにとってファベーラは、目障りで危険で迷惑な存在だ。丘の上から流れ弾が窓に飛び込んでくるような生活を強いられるのだから、ある意味、無理もない。 「なぜ、あの人たちは、あんな暮らしに甘んじているのか」 「なぜ努力しない」 私がファベーラに通っていると知ると、「なぜ?理解できない」と、真剣に疑問を投げてくる人は少なくない。すぐそこ、隣にいる存在でも、間にある距離はとてつもなく大きい。まるで、日本に暮らす私たちがテレビに映る遠い国の悲惨な状況を眺めながら、「なぜ?」と首をかしげるように。 アスファルト側から見たファベーラは、いつも一方的に、見られ、分析され、批評され、嫌われ、時には同情されて慈善を施される存在だ。 しかし本当にファベーラは、そんな受身で無力なだけの、名もなき人々の場所だろうか? いや、決してそうではない。そこには、自身のまなざしと語る言葉を持ち、自身や次世代の未来を能動的に切り開いて行く人たちが、いつだっていた。 ファベーラ「ヴィガリオ・ジェラウ」でアフロヘッギ・バンドを率いるアンデルソン・サーも、そのひとり。 これまで、『シティ・オブ・ゴッド』はもちろん、『バス174』を見た方も多いのではないかと思う。フィクションとノンフィクションの違いはあるが、どちらもファベーラやブラジル社会の暗部をスキャンダラスに俯瞰して見せた映画だった。 そして次に登場する映画、『ファヴェーラの丘』。画面いっぱいから、ファベーラの若者たちの声が、エネルギーがあふれてくる。 映画『ファヴェーラの丘』は、名を持ち語る言葉を持つ人々がモッホから放つその言葉を、中へと手渡しで受け取りに行こうとした、新しいひとつの試みではないかと思うのだった。 ・・・と、ここまで書いて、そういえば、映画そのものについては、まだなんにも書いてないことに気がついた。まあ、そのうちに。 写真・文:下郷さとみ
by hyakuishou
| 2008-03-25 18:32
| ファベーラ(ファヴェーラ)
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