![]() 最新の記事
●新刊のご案内
『平和を考えよう(全2巻)』小学校高学年~中学生向けの本です。詳しくは > こちら おすすめ記事 ●電気柵が守る村にて ●人は自然に託して物語を紡ぐ ●飯舘村から思いをつなぐ ●春よ、春よ ●落ち葉も輸入?! - セシウム汚染腐葉土のニュースに思うこと ●ペシャワール会・伊藤和也さんの死に思う おすすめシリーズ ●[里山暮らし]与那国馬タックとの日々 ●[里山暮らし]炭窯&奥谷津棚田—長老たちとの日々 ●[スピリチュアル?]ぐだぐだ考えてみた ●[ブラジルHIV+アクティビスト]アラウージョ全国講演旅行2011報告記 ●[ブラジル・リオ&サンパウロ]ファベーラ(スラム)をへめぐる ●[アマゾンと先住民]カヤポ族 呪術師長老ラオーニ、日本を行く2007 ●[アマゾンと先住民]ベロモンチ水力発電所建設問題 別館 ●日本の文化・旅をブラジルへ発信するポルトガル語サイト Curtindo o Japão ●関連記事 コンタクト --> こちらから 以前の記事
カテゴリ
野良しごと/山しごと 手しごと 書くしごと 里山と棚田と馬と 自然・いきもの・風景 鴨川・田舎暮らし 農・食・環境 養蜂・ハチミツ よの中・ひとの中 旅の空 ブラジル ファベーラ(ファヴェーラ) アマゾン/先住民 つれづれ ヘジの野辺だより ■百一姓の農産品■ [ プロフィール] [ このBLOGの使い方] タグ
生き物(164)
植物(159) 田んぼ(156) 畑(146) 馬と暮らす・働く・遊ぶ(68) アマゾン/先住民族(48) 田舎暮らし(43) ブラジル(42) 料理(42) アラウージョ(40) ヒミツの山(36) NGO(35) 旅(34) ファベーラ(33) 鴨川(32) HIV/AIDS(29) 農/食(29) メディア(28) ベロ・モンチ水力発電所(26) ポルトガル語(21) 検索
最新のトラックバック
その他のジャンル
|
![]() 菅野牧園 詳しくは→ 菅野牧園企画のギフトセット ![]() 放牧和牛ハンバーグ(120g)×4個 放牧和牛ソーセージ(110g)×3パック 放牧和牛ローストビーフ(200g) 1個 放牧和牛ビーフシチュー(220g) 1個 ![]() 福島県飯舘村で「菅野牧園」を営んでいた菅野義樹さんの家は村で18代続く農家だった。ふるさとに戻って家業を継いだばかりの菅野さんは、高原の山野の牧草地に放牧してのびのびと育てる方法で黒毛和牛の繁殖畜産に取り組んでいた。自然の中で育てた赤身肉のおいしさを知って味わってもらおうと、経産牛の肉を加工して消費者に直接販売する事業にも取り組み始めていた。そんな矢先に起きた原発事故のせいで飯舘村は全村避難となり、菅野さんはその後、北海道の農場に職を得て、北の地で牧園の再建を模索している。 今回、「菅野牧園企画」として、北海道の自然放牧牛肉を使った試作品を限定発売中です。おいしかったですよ〜。 詳細は菅野さんのブログ「菅野牧園」のこちらの記事「菅野牧園企画のギフトセット」まで。調理見本のきれいな写真も載っています。 絶賛売り切れ中。お早めに!! ブラジルでは牛肉といえば自然放牧の赤味肉があたりまえ。噛めば噛むほど味わい深い赤身肉のおいしさを知ったあとは、日本の霜降り牛はしつこすぎて食べられなくなってしまった。(というか、もともと財布が許さないのだけど。笑) 日本でもシュラスコ店(ブラジル式焼き肉レストラン)があちこちにできて、ブラジル風の食べ方、赤身肉の味わいに魅せられた人も多いのではないかと思う。 菅野さんは北海道で自然放牧牛赤身肉のおいしさを普及しようと、ブラジルからシュラスコマシーンを導入してナニカを興そうと計画中。私もそのお手伝いに、いま、ブラジルのマシーンをあれこれ調べているところです。表面をカリッと焼いて、焼けたところだけをそぎ切りにして食べて、またまた焼いて、そぎ切りにして、焼いて、みんなでわいわい....というシュラスコ。楽しい、美味しい、なのだ。 今週はじめに菅野さんと東京駅前の新丸ビル6階のシュラスコ店「バルバコア・クラシコ」を訪れ、店の人にいろいろと教えていただいた。厨房の中では焼き担当のブラジル人スタッフ、セルジオさんがあれこれ見せて下さった。Muito obrigada! 先月末にはじめての赤ちゃんが誕生したばかりの義樹さん、美枝子さんご夫妻。赤ちゃんには未来がいっぱい詰まってる。応援したいです。 ○関連記事: 飯舘村から思いをつなぐ ▲
by hyakuishou
| 2011-12-03 10:32
| よの中・ひとの中
|
Comments(4)
![]() ![]() 食べてうんこする。生きるって、そういうことさ。―—と、シンプルかつ深遠なるメッセージを日々届けてくれる...かもしれない哲学者・タックなのだった、が、それにしてもまあ、よくうんこすること。あれだけ一日中、草を食べてるんだから、あたりまえなのだけれど。 朝夕、バケツ、チリトリ、ボロかき(金属製の熊手みたいなやつ)を手に、牧をぐるっと回ってボロを回収する。それを積み上げて、堆肥を作っている。水を少しかけたりして湿り気を調整しつつ、乾燥と雨を避けるためにブルーシートで覆っておけば、すぐに発酵が始まって写真のような状態に。 馬のうんこは、つやつやきれいな緑色で、ほじくってみると中味はほとんど草の繊維そのままだ。微細に砕いてほぐした繊維に膨大な数の腸内細菌の死骸&生きたのを混ぜてこねくり回して丸めてある―—馬糞とは、そんなかんじ。 胃袋が4つもある牛のような反芻動物とは違って、馬の消化吸収の効率は相当低い。糞にはつまり繊維質と栄養分がまだたくさん残っているわけだから、堆肥としてはとても良質なものになる。草をそのまま積んでおいてももちろん堆肥にはなるけれど、完熟するまでずっと時間がかかるしね。 タックという生き物を一頭養って、そのあと堆肥も残してくれる。前はやっかいなだけだった雑草だらけの草むらが、なんとも豊かな資源に見えてくるからふしぎだ。 家畜は輸入飼料で養って、糞はほとんど利用せず、作物は輸入原料に依存する化学肥料で栽培する。有機にしても、堆肥の原料の落ち葉まで輸入されている。―—これでは窒素循環が破綻しているのではないかなあ。たとえるならば、太平洋上の小さな島国に、島外から持ち込まれる商品の包装容器ゴミ―空き缶とかペットボトルとかーがあふれかえっているような。 世界の片隅のこの里山で、ささやかにぐるぐると循環させてみたい。 ○関連記事: 落ち葉も輸入?! - セシウム汚染腐葉土のニュースに思うこと(2011-07-31) ▲
by hyakuishou
| 2011-08-21 00:32
| 里山と棚田と馬と
|
Comments(3)
市販の腐葉土からセシウム検出、というニュースが立て続けに出ている。「えっ、腐葉土からも?!」と一瞬驚き、すぐに「ああ起こるべくして起きたことだな...」と得心した。放射性物質を含んだ雨はもちろん森にも降り注いだのだから。
今回の原発事故のあと、スーパーの野菜売り場に「安心の中国産」みたいなポップが貼られている写真をネットで見かけて「価値観とは移り変わるものなのね」としみじみしてしまったけれど、いよいよ「安心安全・非有機!」なんてキャッチフレーズがウリになる時代がやって来るのだろうか。 私たちはいわゆる有機農業をやっている。そして有機作物には「安心安全」という惹句が付き物だ。それは普通「消費者にとっての安心安全」という意味なのだろうけれど、私は、「というか生産者や生態系にとっての安心安全なのでは」と思って来たし、「有機農業は、持続可能、循環という価値でこそ語られるべき」と考えて来た。 しかし放射性物質汚染となると、また話は違って来るのだなあ。安心安全の根幹を揺るがすものだし、なにせ物質が循環するからこそ困るのだ。とにかく少なくとも東日本では、有機農業の消費者側から見たイメージは、この先、揺らいで来るのかもしれない。それでそのうち、こんなのがブームになったりして。 「都会のビルの地下の野菜工場で、空調完備、人工灯の下、栄養液で水耕栽培された清浄な無農薬野菜です」 「土や自然界とのコンタクト、安心安全のゼロ!」 「しかもソーラーで自家発電」 「都会でだからこそ実現できる、もぎたて超新鮮直送。フードマイレージは、ほとんどゼロ!」 「これこそが究極のエコ農業だ!」 溜息。 閑話休題。 腐葉土の話なのだった。 放射性物質:栃木産腐葉土7製品自主回収 セシウム検出で (毎日新聞 2011年7月29日) 岩手産腐葉土、カインズが全国166店で販売=同業各社も、店頭撤去 (時事ドットコム 2011/07/28) 記事を読んで、実は別の意味で「えっ?」と思ってしまった。 落ち葉も輸入してるのか! 上の記事から引用すると、「(製造元の)加藤産業によると、5月末までは輸入した落ち葉を原料にしているが、毎年6月ごろから栃木県の落ち葉を使うという。」 下の記事では、「腐葉土には原産国として岩手のほか、タイ、ベトナム、バングラデシュが表示されており、鳥取県は「生産工程によって混合の割合が異なるのではないか」としている。」 だそうだ。 腐葉土の業界事情はどんなかんじなの?と思い調べてみると、こんなページに行き当たった。地元四国の落ち葉で国産腐葉土を作っている、土や堆肥などの園芸資材の製造販売会社のwebサイトである。 私が「金の腐葉土」をお勧めする理由 - 有限会社カネア 腐葉土が一般に市販されるようになったのは、ここ30年ほどだそうだ。その後、ホームセンターの林立と家庭菜園・園芸ブームで需要拡大、生産拡大、低価格競争、国内の落ち葉採取可能地の減少や人手不足、などなどの要因によって、業界では原料の一部を中国や東南アジアから輸入するようになってきたらしい。 なるほど...と、身の回りを見回してみれば、落ち葉を大量に採取できるような山など確かにないよなあ、と思う。あらゆる場所に竹が侵入して酷いヤブになっているし、そうでない山も下草や雑木が密生していて、とても森の中に入れたものではない。(竹やぶなどない東北の青く美しい山々を思い浮かべるたび、それが汚染されたことが悲しく腹立たしい...)。ましてや普通の今の農家では、落ち葉はそもそもほとんど需要がない。 腐葉土もバーク肥料(樹木の皮を発酵させて作った堆肥)も、落葉広葉樹のものがより良質とされている。クヌギやナラなど、切り倒しても切り株からひこばえが出てきて再生するような、薪や炭によく使われていた樹種だ。近所のお年寄りたちによれば、50年ほど前から薪や炭が使われなくなり、このへんの雑木林は樹齢50年以上のシイやカシ(このあたりの里山の主要樹種で薪炭によく使われていた)でうっそうとしてしまったそうだ。「若いうちなら切っても再生力が旺盛だけど、50年にもなるとよくないねぇ」と言っていた。 また、農村とはいっても非農家もあるわけで、たとえば我が家のまわりはだいたいそうだ。処理の場所も使い道もないから、生ゴミも庭木の剪定したのも、むしった草も、「燃えるゴミ」として出している。鴨川市は「燃えるゴミ」の処理は有料なので、互いの庭が接しているお隣さんにはいつも、「かさばるしお金もったいないし、草はうちの庭のとこに積んでおいて下さいね。生ゴミコンポストに混ぜて堆肥にしますから」と声をかけている。というか、「ゴミ」として重油をかけて燃やしてしまうのが、もったいない。 都会でも庭木や街路樹、公園など、けっこう樹木由来の「ゴミ」は出ているはずだ。自治体によっては資源収集〜堆肥化のシステムを持つ所もあるけれど。 資源はそこに山ほどあっても活用されず、里山は荒れてヤブとなり、けれどモノは必要なので、より安い外国産を輸入する。化学肥料にしても、原料の鉱物資源に乏しい日本は、そのほとんどを輸入。ふつう食料自給率はカロリーベースで計算して、輸入飼料で生産した畜産物を自給に含めないけれど、もし肥料も同じように捉えるならば、日本の食料自給率はほぼゼロになってしまうんじゃないだろうか。 1999年に成立した「家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律」によって家畜の糞の野積みが禁止になり、一定規模以上の酪農・畜産農家は大きなお金をかけて堆肥化設備を整えることになった。けれど需給がアンバランスすぎて、そのできた堆肥の行き場がない。このへんでは酪農がまだまだ残っているけれど、「けっきょく、できた堆肥を山の中に積んで捨てているところも多いよ」という話をよく耳にする。 霜降り肉や高乳脂肪乳は市場で価値が高いし、飼料は安くて栄養価が高い輸入牧草・輸入穀物に頼ることになる。で、出た糞は使い道があまりない。田畑には肥料が必要だから外国から化学肥料を輸入する。そして草を利用されない里山はヤブとなり....。 なにかが間違っている気がする....。 「(ワタシにとっての)安心安全としての有機、エコ」だけでは見えないものがたくさんあるよねえ。農や食の問題の背景には、複雑で深〜い問題がいっぱい詰まっている。「そういうの、全然見えてなかったな...」と、非農家出身で東京にも長く暮らした者として、自省の思いを込めて振り返るのだ。過疎地に原発が林立するに到った現実も、こういう「見えてない」ところと根っこがつながっている。 今回の原発事故で日本の有機農業が(だけでなく農業そのものが)ガタガタになってしまうとしたら、こんなに腹立たしいことはないではないか。自分なりにでも、農村や農の現場のことをもっと知ってもらう努力をしていきたいと思う。 ○関連記事: 飯舘村から思いをつなぐ ○おすすめのブログ: 大地を守る会のエビちゃん日記 "安心はしんどい" 生産者と消費者を直接つなぐ有機農産物流通の草分け「大地を守る会」のスタッフの人のブログ。「安心はしんどい」という言葉にいろいろと含むものがあるよなあ〜といつも思って読んでいる。原発事故後は、長年関係を築いて来た北関東〜東北の生産者と共に苦悩しながら道を模索するようすが綴られていて、ぜひ読んでみてほしいです。 ▲
by hyakuishou
| 2011-07-31 15:53
| 農・食・環境
|
Comments(0)
テレビとお別れする最後の晩に、古いブラウン管が映し出す福島県飯舘村の風景を食い入るように見つめていた。大山支援村の活動を通して出会った飯舘村の人びと、そしてあの美しい村を、忘れずにいつまでも記憶に留めていかなくては。そう胸の内に繰り返しながら。
○番組HP> NHKスペシャル「飯舘村~人間と放射能の記録~」 2011年7月23日(土) 午後9時00分~10時13分 総合テレビ 5月に大山支援村の仲間と飯舘村を訪ねる機会を得た。また、ここ鴨川にも、飯舘村から二組のご夫婦をお迎えする機会があった。私にとって、とても大きな意味のある出会いとなった若い二人のことを少し書きたいと思う。 ![]() (6月11日・鴨川の我が家にて) 菅野さんは、日本では珍しい黒毛和牛の山地放牧という飼育方法に取り組んできた。山野に生える草だけで育てた牛は、霜降りとは対極の赤身が特徴の肉となる。それをソーセージやローストビーフなどに加工して販売しようという商品開発の試みも動き始めたばかりだった。しかし村は全村避難に追い込まれ、牧園も休業となった。 ![]() このポストカードは、菅野さんが万感の思いを込めて立ち上げた「つなげるつながる さくらプロジェクト」の一環として製作された。 つなげるつながる さくらプロジェクト - 菅野牧園blogより 「エネルギーやこれからの私たちの社会について、それぞれが考えをこのポストカードに書き添えて大切な人へメッセージとして送り届けてもらえたら。そうやって人びとの思いをつなげていけたら」と菅野さんは言う。その願いに応えていきたい。 ![]() ![]() 菅野さんの「東電のせいだとか政府のせいだとか恨み言を抱えて生きていきたくはない。前を向いて歩いていきたい」という言葉に会場から大きな拍手がわいた。 糾弾口調よりも前向きな言葉こそを聞きたい。応援したい。聴衆の心情はよくわかる。私も同じだ。けれどその「前向きな」「明るい」言葉のうしろには、たくさんの語られない言葉や言葉にならない言葉が詰まっているはずだ。前夜、市内であった別のイベントで横浜から集った大勢の参加者を前に菅野さんが語った言葉は、私にはとても重たい宿題を突きつけられるものだった。 「この原発事故は、私たち全員が加害者です。そして全員が被害者。これからどんな社会を作って行くのか、ひとりひとりが考えなくては」 突然に降って湧いた理不尽な災難の、菅野さんたちは絶対的な被害者ではないか。その人が「私たち全員が加害者」と、噛みしめるように自分に言い聞かせるように語る、その言葉の重みを知らなければならない。そう強く思った。 「ずっとウソだった」「騙されていた」なんて恥ずかしくて言えない。ウソに騙されていたのなら、まだマシだ。少なくとも何らかの情報を求めて、得たそれを真実とする判断を自分自身で下したのだから。でもそうだったろうか。それどころか騙される以前の話、無関心もしくは常にどこか他人事ではなかったか。 それに原発の問題は安全かどうかだけじゃない。「トイレのないマンション」に喩えられるような、放射性廃棄物の処理と永遠に近い長期に渡る保管の問題。受け入れへの賛否に地域を分断しながら原発が過疎のまちむらに札ビラ切ってやってくる、そんな社会構造そのものに立脚する根の深い問題....。けれど常にどこか他人事だったと告白したい。 2日間ご一緒しながら、たくさんのことを語り合った。牧畜への菅野さんの思い入れに、私はとても共感した。 耕作放棄地や手入れされていない植林地に牛を放てば、牛はどんどん藪に分け入ってきれいに開墾してくれるという。私も同じようなことをずっと考えてきた。―—草という人間が食べられないものを家畜が食べて育ち、その恵みを肉や乳や卵や堆肥という形で人間がいただく。里山を家畜と共に守り育てる、有畜循環型農業。一次産品として卸市場に出荷しておしまいではなく、自ら手を加えたものを消費者にダイレクトに提供していく、主体的・自立的農業。 我が家のニワトリを見ていて、つくづく思う。ニワトリは青草が大好きだ。せっせと草の根元近くまでついばんで、ちょっとした草むらなら、あっと言う間にきれいにしてしまう。土や虫をついばむのも大好きだ。一日中歩き回って忙しく脚で土をほじくり返している。鳥インフルエンザウイルスの侵入予防にと、窓もない鶏舎の中で、何段にも重ねた狭いケージに閉じ込めて輸入穀物飼料を与え続ける大規模養鶏が、いかにニワトリという生物種の生態からかけ離れた飼い方かがよくわかる。 けれどもちろんそれは、いまの玉子の価格と生産量を維持するためには必要な飼い方で、それは消費者の選択結果でもあるのだ。「安心安全を」「低価格を」と、ある意味、相反する条件を世間は同時に求めながら、そのはざまで農の現場の実相が忘れられている気がしてならない。 菅野さんには「日本に赤身の肉の美味しさを味わう文化を作っていきたい」という夢がある。「たくさん食べなくていい。特別な日に味わう食べ物にしてもらえたら」と願っている。噛みしめるほどに肉の旨味が口中に広がる赤身肉の魅力は、ブラジル生活で向こうの牛肉の味を知った私にとってもなじみが深い。かたいけれど旨いのだ。 サシが極限にまで入ったとろけるような和牛肉の高級さを追求するひとつの食文化があって、かたやもうひとつ「肉食は反エコロジー」とみなす思想文化もある。「牛肉を1キロ作るのに10キロの穀物が必要」、そんな解説に触れたことのある人も多いだろう。「だから肉を食べるのはやめよう/控えよう」と。しかしどちらにしても何かが違うと、菅野さんは違和感のようなものを抱き続けてきたそうだ。 高級霜降り牛をもてはやす風潮と肉食を否定する声とのはざまで、疲弊する農村・藪と化していく里山の実相がすっぽりと抜け落ちていく。模索する農家の喜怒哀楽が見えない存在となっていく。どちらでもない第三の道が逆に遠のいて行く。そんな危機感ならば私にもよくわかる。...いや、わかる気がする。原発の問題も同じだ。推進せよ/絶対反対だ、大きな声のはざまで私たちが見えずにいることはないだろうか。 「その両者の間をつないでいきたいんです」と菅野さんは言っていた。異なる主張の間を、都市と農村の間を、世代から世代へと...。そして、「農家のプライドというのでしょうかね」と言いかけて、ぐっと歯を食いしばり天を仰いだ。こらえた涙が目から溢れ出て、絞り出すように言った。 「次の日に村を離れて避難するという人が、田んぼの畦の草刈りをしていたんです。きれいにして行きたかったんでしょうね...」 プライドと愛惜と。 哀しみ、怒り...。 ![]() 5月下旬に私が訪ねた時は、村は遅い春の訪れに緑輝き、田んぼの水路はサラサラと水をたたえて流れていた。何もかもが美しかった。青々とした牧草地に風が渡り、「ああここに寝転がったら、どんなに気持ちがいいだろう」と思った。その地表近くの線量は、持って行った簡易線量計で10μSv/h前後をさしていた。この美しい風景と、この数字と、ギャップが意味するものが、どうしても受け止められずに戸惑ったことが生々しく記憶に蘇る。 耕すことの許されない田んぼの畦の草を黙々と刈る人がいる。その姿を脳裏に思い描くたび、泣けてきて仕方がない。その人の思いのほんの一片かもしれないけれど、わかる気がする。わかりたいと思う。 「私の代で村へ戻れることはもうないでしょう」。そう菅野さんは覚悟している。「けれど私たちの子どもや孫たちが農業がやりたいと希望し、いつか村へ戻れたときに、満開の桜が彼らを迎えてくれたなら」と静かに語っていた。 二人は、はじめての赤ちゃんの誕生を11月に迎える。新しい命に、よりよい未来を私たちは手渡して行かなくてはならない。 ○「つなげるつながる さくらプロジェクト」への支援方法はこちらに つなげるつながる さくらプロジェクト - 菅野牧園blog (写真:さとみ) ▲
by hyakuishou
| 2011-07-28 22:11
| よの中・ひとの中
|
Comments(9)
![]() 壁をくり抜いてエサ箱を取り付けた。 タックは一日中、牧に生えている青草を自由に食んでいるけれど、朝と夕は時間を決めて小屋内で、水にふやかしたフスマと刈った青草をやるようにしている。そして食べている間にブラッシングや濡れタオルで顔拭きを。 ![]() 歓迎会を呼びかけてくれたのは「嶺岡牧から学ぶ会」。 ここ鴨川の嶺岡の山々にはかつて将軍家の広大な牧があり、最盛期には600頭もの馬が、連なる尾根に開けた草原を駆け巡っていたそうだ。山々はすっかり木立や藪に覆われて当時の面影は全くないけれど、今でも山中のあちこちに野馬土手などの遺構が残されている。「学ぶ会」会長の加藤登紀子さんの農場「鴨川自然王国」も遺構のある場所のひとつで、敷地内には馬捕り場の土手の一部を見て取ることができる。 私たちには「馬と共にある農的暮らしを通して里山を守り育てていきたい」という思いがある。今の時代の里山保全の基本とは、ある意味、「藪を払い道草を刈り続ける」ことに尽きるのだけれど、これまでは苦役とも思えたその労働が、タックが来てからは確実に「喜び」に変わった。荒れ果てた耕作放棄地や藪に埋もれた山中の旧道を美しく蘇らせて、そこに人の声が再び響くようになれば、と願い、そしてその願いに力を与えてくれるものが、私たちにとっては「馬」である。 それは「私たちにとってはそうだ」というだけで、きっかけや力を与えてくれるものは人によってそれぞれだと思う。ただ確実に言えるのは、「馬は人を呼び、人をつなぐ」。馬は、そんな特別な力がある特別なイキモノだ。今日、歓迎会に集ってくれた人たちの笑顔を見て、それをあらためて確信した。 今は価値のないものにしか見えない荒れた里山の風景が、やがて美しく生き生きと蘇り、そこに人の声が響くようになったときに、「この里山を活かして私たちに何ができる?」という具体的な発想の活力が湧いて来るのだと思っている。「村おこし」とは内から湧いておきてくるものであって、たとえば都会のコンサル会社やなにかが紙の上でおこしてみせるものではないはずだ。自分たちの手で何を作りだし、次やそのまた次の世代に何を残して行けるのか、そんなことを考え続けている。 ○関連記事: 春よ、春よ —2 ▲
by hyakuishou
| 2011-07-26 23:59
| 里山と棚田と馬と
|
Comments(2)
![]() ![]() ![]() ![]() 杉の木の香りも新しい小屋の住人となる方は.... ![]() 16分の1だけポニーの血をひくヨナグニウマです。(曾祖父のうちの一頭・・・母方の祖父のそのまた父親がポニーだった) ヨナグニウマが絶滅の危機にあった30年前、この馬に惹かれて島に移住した久野雅照さんは、その後「ヨナグニウマふれあい広場」を開設。全国からやってきた若いスタッフたちと共に、島の子どもたちや観光客に馬とのふれあい体験を提供しています。 4年前に取材で「広場」を訪ねました。webサイトのトップページにも掲げられている「広場」の考え方―— 日本の西の果てにある与那国島にずっと昔から生きているヨナグニウマ。今からほんの40年ほど前まで、ヨナグニウマは米やサトウキビなど重い荷物を背中に乗せて人と一緒に働いていました。人は馬を大事にし、馬もまた人に尽くしました。今でも、ヨナグニウマたちは、人と一緒に働きたい、遊びたい、そう思っているのです。 ここに感銘を受けました。役割を分かち合いながら「生きた文化」として馬を守っていく。敷居の高い乗馬クラブとかではなくて、馬ひろば。「そんな場所が全国のあちこちの町に出来たら」と久野さんが語っておられた夢のほんの一角を、ここ鴨川の里山で担わせてもらえることになりました。 二人とも馬が好きで、取材の仕事にかこつけて、全国あちこちの乗馬体験や馬とのふれあい体験を提供する場所を訪ねてきました。その中でも、いちばん心に残った場所が、この与那国島の「広場」です。いつか自分たちでも馬が持てたら....と、荒唐無稽にすら思っていた夢が実現できそうです。 1950年代の終わり頃まで鴨川のこのあたりでは、どこの農家にも赤牛がいて田んぼの作業に使われていたといいます。馬は数こそ少なかったものの、山で切った木を引き出す地駄曵きや荷馬車の仕事を生業とする家に飼われていたそうです。いまの70代以上の人が牛や馬の仕事ぶりを憶えている最後の世代で、昔話を聞かせてもらうのがいつもとても楽しみです。 山の中には幾筋もの旧道がなかばヤブに埋もれて眠っています。ヒミツの山のすぐわきにも、小さな峠を越えて大山千枚田へと抜ける旧道が通っています。かつて先人たちが切り拓き踏み固めたその道を再び掘り起こして、タックと歩んでみたいと思っています。 荒れ果てた耕作放棄地や里山を、馬と暮らすことを通してよみがえらせる。 ひたすら刈って捨て置くだけだったヤブの草が、馬が食べる>糞になる>肥料になる>田畑を肥やす・・・と、大きな循環の一部となる。 ニワトリにしても牛にしても同じ。人間が食べられないものを家畜は食べ、それを人間が食べられるもの―卵や乳や肉―に換えてくれる。草を食べる生き物を飼うということは(輸入穀物飼料に頼るのではなく、草を食べさせる、という方法で飼うということは)、農という営みの中でとても重要な意味を持っていると実感します。 来週、タックをお迎えに、与那国島へ行ってきます! (写真:さとみ) ▲
by hyakuishou
| 2011-06-18 01:12
| 里山と棚田と馬と
|
Comments(1)
震災後、我が家に5羽の名古屋コーチンがやってきた。
(> 春よ、春よ -2) ![]() ![]() こうやって体に付くダニなどを落としている。 ![]() ほじくる、ほじくる。 たくましい足。いい出汁が出そうだ。 ![]() 大騒ぎで惨劇を繰り広げた後、「全部おいしくいただきました」 ![]() あちこちにワサワサ繁るカラムシをてんこもりにして。 こうやってヒモで縛って吊るしておくと、クチバシで突っついて食べやすい。 ![]() ![]() 茶室にでもなりそうな立派なのができました。ヘジさん頑張りすぎ。 ![]() ニワトリたちが足で地面をほじくり回す際に、落ちた糞も一緒に撹拌されて自然に発酵・堆肥化されていく...という仕組み。床にはたっぷりの稲藁にプラスαを混ぜ込んだものを敷き詰めてある。たまに、全体を大きく撹拌して天地返しするとよい。 ![]() 小屋の中は全く臭くない。ふつう養鶏場の鶏舎の中は、ケージ飼いであれ平飼いであれ、立ちこめるほこり(というか粉末化した糞)で息苦しいほどなものだけれど、発酵床なら「臭い無し」「掃除の手間無し」「有用微生物相の発達で病原菌/ウイルスを寄せ付けない」と、利点が多い。 関連記事:6年前からの夢が実現した!(その1) (毎度ながら「その2」無し) にわとりたちは、とにかく青草と土が大好きだ。小屋の外の"遊び場"を歩き回って常に足やくちばしで地面をほじくり返しては、なにやらついばんでいる。草の種や虫だけではなく、土そのものもよく食べているようだ。こういう様子を眺めていると、現代の商業的養鶏は、にわとりという生物種らしさを押し殺した上に成り立っているのだな、ということがよくわかる。身の幅の狭いケージの中で配合飼料だけを食べて生きる。大量飼育、ストレスフルな環境では、病気予防はいきおい薬に頼ることにならざるを得ない。 もし消費者が「より自然な/安全な卵が食べたい!」と望むのならば、それなりのコストを負担しなくてはいけない。卵は安すぎる。末端価格1個10円そこそこの商品に、どれだけの生産コストがかけられる? たとえばエサ代。卵1個分あたり、せいぜい多く見積もっても2~3円だろうか? 1羽のにわとりが1日に食べるエサの量は、およそ120グラム。毎日1個産むとして、計120グラムのトウモロコシ等が2~3円。安すぎる....。 ![]() ![]() これで3回目だけれども、毎回同じニワトリなのかどうか。2個排卵しやすい体質だとか? とても人懐っこく、好奇心旺盛。 一羽一羽、性格が違い、ずっと眺めていても全然飽きない。 うちに来てくれてありがとうね。 写真:さとみ ▲
by hyakuishou
| 2011-06-09 00:47
| 里山と棚田と馬と
|
Comments(11)
天気予報もカエルの鳴き声予報もはずれた梅雨の晴れ間に、急いで田の草取りに出る。今日で2回目。(1回目のようすは>こちら)
![]() ![]() ![]() ![]() 一枚の中に地表面の高低があり、かつ泥層の厚さに大きな差がある田んぼなので、それらのコンディションによってイネの生育速度や雑草の量、種類が目に見えて違っている。泥層が厚くて水が深い箇所が、いちばんいい状態のよう。15年以上荒れ地になっていたのを昨年復田したばかりだから、いい状態に直していくのはなかなか大変だ。 プロの農家の田んぼは、全部のイネが同じ高さ・太さにびしっ!と揃っていて、それは見事なものだ。私たちみたいに無農薬で行くのなら、害虫に負けないような太くて強い苗作りの部分からちゃんとやらなくてはいけないのだよな。...来年こそは! ![]() そしてメタンガスの温室効果は二酸化炭素の21倍。 さあ、どうする! けれど環境問題はトレードオフ。 あっちを立てればこっちが立たず。 有機質は土壌を肥沃にし、生物相を豊かにする。生き物いっぱいの田んぼはいいな。有機質たっぷりすき込んだ田んぼで無農薬栽培だ。“冬水(ふゆみず)田んぼ”(冬期堪水/田に冬の間も水を張っておく)で、ますます生き物いっぱいの田に! ↑ ↓ メタンガス発生を抑制するために有機質はなるだけ入れずにおこう。そのためには化学肥料と農薬をうまく使っていかなければ。また冬期は水を抜いて乾田化するとメタンガス抑制になる。 というか、水田はやめて陸稲(おかぼ)にすればいいだけの話か。私は食べたことがないけれど、陸稲は美味しくないらしい。「温暖化防止のために、これからは私は陸稲を買うことにしたい。水田を埋めて畑にしましょう」という人、いますかね? たぶんいないよねぇ。 と、何の結論も出ないまま話題は変わって、(いいかげん) 夕方に炭窯に立ち寄ったら、長老たちが「今晩、みんなでホタルを見に行くヨ」と誘ってくれた。 日が落ちた7時半過ぎ、炭窯の下手奥に広がる沢筋の谷津田に、ふわふわと、漆黒の空いっぱいに無数のホタルが舞っていた。空に手を差し伸べて指先に小さな灯りを点してみながら、「昭和40-50年代あたりも、こんなにホタルいました?」と長老に聞いてみた。「いやー、いなかったねー」と長老。農薬の種類や使い方、使う量が今とはずいぶん違う時代のこと。私も子どもの頃に住んでいた家のまわりで見た記憶があるけれど、昔は一帯が真っ白に霞がかかるほどに撒いていたものですよ。 今、このあたりの山の棚田では、ふつう使うのは、田植え時期の除草剤とイネミズゾウムシ対策のため苗箱にまぶす粒剤くらいではないか。必要によってはカメムシ防除の薬を撒く場合もあるみたい。低農薬で十分行けるけれど、でもやはり除草剤をはずすのは相当に難しいだろう。田に這いつくばって手で草を取るというのは、本当にたいへんな労働だ。 たとえばの話、どちらも国産で、機械織りの布をミシンで縫った服と手織りの布を手縫いした服とが、同じ価格になるはずがない。「どれだけ高くてもいい、無農薬の米を」という選択肢もあっていいとは思うけれど、「いや、食糧は服などとは違う。人類全体が飢えずにすむ十分な量を十分にアクセス可能な価格で供給できるような食糧生産の保障が基本」という大前提を忘れる訳にはいかないだろう。 無農薬の大変さを知れば知るほど、慣行栽培を否定的には言えないよねぇとの思いを深めつつ、田の草を取る日々。 長老たちとのホタル鑑賞の帰り道、うちの田んぼにも寄ってみた。舞うホタルにしばし見とれるのだった。 写真:さとみ ▲
by hyakuishou
| 2010-07-05 01:33
| 野良しごと/山しごと
|
Comments(0)
6/24(木)午後:炭窯長老たちの山仕事(午前の仕事は>こちら)
![]() 炭窯のすぐ下に広がる、それはそれは美しい棚田。典型的な谷津(谷戸)の景観。清澄山系の山々から流れ出る絞り水を集めて、たっぷりと潤う田。 炭窯の4人の長老たちは、昨年よりこの奥谷津棚田で「鴨川市棚田農業特区」の枠組みを活用した「棚田トラスト」を実施している。都会から年30組の会員を受け入れて米づくりを体験してもらおうというもの。(明日7/4は畦の草刈り作業日だそうだけど、さっきからアマガエルが盛んに鳴いて天気予報は雨だぁ) ![]() 【写真全10枚】 続きを読む >click! ▲
by hyakuishou
| 2010-07-04 00:20
| 手しごと
|
Comments(0)
![]() 正式名称:腕金貨印「アルミ製 水田中耕除草機 2丁押」 愛称:コロコロ ![]() イネミズゾウムシに葉は食われまくりだし、田植え後に続いた豪雨で倒されて水中に没してしまった苗も少なくない。プロの農家なら、今年はもうダメか...と思ってしまうような有様かもしれない。 が! 稲は強いのだ。そのうち盛り返して見せましょうとも。 ![]() 雑草はこれくらいの大きさのうちに取ってしまわないと、あとで泣きを見る。出遅れれば、雑草の根はじきに深く広くはびこってコロコロかけても取れないし、手で取ろうにも、ちょっとやそっとの力では抜けなくなる。 ![]() ![]() 条間のみ、しかも羽根車が通って行ったところだけしか草は取れないので、そのあと手でも取る。蒸し暑いさなかに腰をかがめて泥に足を取られながらの田の草取りは、ほんとにキツイ。腰は痛いは頭はクラクラしてくるは...。にわか百姓は体が出来てないからダメなのだ。 「無農薬の“安全・安心な”お米を」というニーズは存在するわけだけど、そのようなお米は生産者にとっては「体に悪い米」だよなあ、と思ってみたりする。小さい田たった1枚でも、これだけたいへんなんだから、業として無農薬の米作りをするのはどれだけたいへんなことか。 消費者が“安全・安心”と言う時に、それは誰/何にとっての“安全・安心”なんだろうか。たぶん消費者本人(食べる人)にとっての“安全・安心”なのだろうけれど、では、ならば、慣行栽培の米は“危険で不安”な食べ物なのか? まさか。そうは思わない。無農薬や有機栽培を求める消費者は、無農薬・有機栽培という営みが持つ意味を、もっと広い視座でとらえなくてはならないと思う。(と、いつも自問自答している) ![]() 加茂川沿いに走る長狭街道をはさんで、うちの田んぼのちょうど向かい側。こちらは嶺岡山系、あちらは清澄山系の山々をしょっている。あの煙の下で長老たちは交代で薪をくべているのだよなあ。 写真:さとみ ▲
by hyakuishou
| 2010-06-22 23:51
| 野良しごと/山しごと
|
Comments(2)
|
ファン申請 |
||